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RO69落選原稿・最も敬愛する、エレファントカシマシの話

以下は、「rockin'on presents 音楽文 ONGAKU-BUN 大賞」に応募した原稿です。

本日、結果発表があったのですが、まあ箸にも棒にも引っかからなかったので、供養のためにはてなに残しておく所存です。

ro69.jp

 

「最も敬愛する、エレファントカシマシの話」

お祭りの日を待つ子供の様に 

整理番号のせいか、背のせいか。

エレファントカシマシ「RAINBOW」ツアー初日の豊洲PIT公演は2時間超。ぎっしり詰まったスタンディングエリアからでは本人方がステージ上のどこにいるのかもよくわからない。しかし、顔など今まで何回も観てるからどうでもよくて、病気が治って以降のエレカシの音楽に触れるにつけ、ミヤジがまた歌えるようになって本当に良かったと、声だけが聴こえる会場で思い、帰りのゆりかもめに揺られながら、その気持ちを余韻のように噛みしめていた。

CD発売の有無に関わらず行われる、毎年恒例の日比谷野外音楽堂での公演と新春ライブにはなるべく足を運ぶようにしているが、どのバンドにおいても活動の中で大きな役割を占める“オリジナルアルバムリリース→ツアー開催”については、「昇れる太陽」以降、タイミングが合わぬまま乗り遅れてしまっていた。

いつしか大学まで卒業し、社会人になり、慌ただしく過ごしている中で、エレカシ自体が活動休止を余儀なくされる事態が起こったり、めでたく復活したり、さらにめでたく新しいアルバムが出たりして、気が付けば自分も20代を折り返している。

先般、約3年半ぶりのオリジナルアルバム「RAINBOW」がリリースされ、これに伴うツアーの初日、豊洲PIT公演を観に行くにあたって、そういえば、こういうことをする(発売日にきちんとアルバムを買って、リリースツアーにも行くという行動をとれた)のがものすごく久し振りであることにやっと気が付いた。

エレカシが好きだが、何々も好きだと、私はかねがね、あれやこれやと首を突っ込んでしまう性分だと自覚している。しかし、エレファントカシマシと第二集団には、形容できない隔たりが立ちはだかり続けている。

10代の頃にとんでもない衝撃を受けたミュージシャンのことをずっと尊敬し続けている人って結構多いと思うんだけれども、ご多分に漏れず私もその一人で、自分の場合はそれがエレファントカシマシだった。

エレカシを好きになって以降、彼らを越えるミュージシャンは未だに現れない。

 

敗北と死に至る道が生活ならば

10代のころ、こんなに恥ずかしく悔しい思いをして、もう立ち直れないんじゃないかと思うことがあった。今思えば、誰しもが通ってくる人並みの挫折かもしれないが。

そのころ、ひょんなことから出会ったのが、エピックソニー時代の楽曲「デーデ」「ふわふわ」「この世は最高!」「男は行く」「奴隷天国」「曙光」「浮雲男」「珍奇男」「極楽大将生活賛歌」「おはよう こんにちは」・・・。

初対面、ではないが、初めて耳にしたときの率直な気持ちは、「なんでこの人こんなに怒ってるの…!?」だった。頭に浮かぶ、はてなはてな、ハテナ。

しかし、次の曲へ移れど移れどエスカレートする怒気を帯びた歌唱に、気が付けば笑っていた。

もう笑えない予定だったのに。

 

金持ち とりもち 力持ち もちにもいろいろあるけれど

金持ち1番強いのは 誰でもしってるさ

友達なんかいらないさ 金があればいい(デーデ)

うるせぇ だまれ ボケなす 俺に命令をするな(ふわふわ)

太陽の下 おぼろげなるまま 右往左往であくびして死ね

生まれたことを悔んで果てろ

つらいつらいと一生懸命同情を乞え(奴隷天国)

 

何日も何日もふさぎ込み、これからどのつら下げて他人に接すればいいのかわからず苦悩していたのに、最後は人の怒りにふっと笑わされたのだった。

めそめそと浸かっていた絶望が、少しだけ、何でもない事のように思え、救われた。

 

1988年デビュー。四半世紀を超えたキャリアの中で、レコード会社4社、シングル47枚、アルバム22枚。

諦念、悲しみ、怒り、憤怒がこだまする初期の楽曲群。契約切れを経て、メジャーシーンの前線に躍り出たポニーキャニオン時代。

例えば、メディアと距離を置いて、自分たちは孤高だとメディアを詰ることは簡単だ。だけどエレカシは、出つくして出つくして、その道を通ったうえで、あまりに無骨なバンドサウンドに回帰した。俺はロック歌手だと叫んだ「俺の道」。生涯を見つめ直すような「扉」。そして辿り着いた、ユニバーサルでの「さあ、がんばろうぜ!」

もはや一大スペクタクルと言っても過言ではない。このバンドの、正直で不器用な歴史と道程は。

日ごろ、エンターテインメントの類に属する諸々の界隈で、やれ再結成がどうだ、卒業だ、脱退だ、解散だと耳にするたび、一方こちらはとエレカシを思い出して勝ち誇ったりすることは特にないが、実際のライブを目の当たりにするたび、新しい音源が発表されるたび、続けることのすごさ、むしろ『このバンドを』続けることのすごさを思い知る。

上り調子の時もそうでない時も、病気療養の時期を除いてつべこべ言わずに活動し続け、良作を作り続けてくれている彼らは、最近もう、どこか達観してしまっているようにも見える。

どんなことがあっても続けてきた人間にしか出せぬ、形容しがたい境地。何度も何度も披露されてきた「ファイティングマン」も「花男」も「デーデ」だってそう。たゆまぬ活動のおかげで「今」であり続けている。

このところ、インタビューでもよく「一日でも長く、このメンバーで、現役であり続けたい」と語る彼らは、かつて一度大きく売れたときよりも安定し、円熟し、さらなる説得力を持って、聴く者に迫ってくる。

 

急性感音難聴 

デビュー25周年を控えながらライブ活動休止を余儀なくされたのは2012年。私自身にとっては社会人一年生、新入社員の年であった。文字通り、がっくり、しょんぼり、ひたすらしょげてしまった。感傷的に何かを語る力も無く、肩を落とすばかり。このような目に遭わなければならないのが、なぜミヤジなのだと。常々、煙草、たばこ、タバコの宮本さんを見るにつけ、なんでもいいから長生きしてくれよと祈るような思いはどこかにあったが、「エレカシが二度と戻ってこられないかもしれない」と考えなければいけない日が来ると、誰が想像していたというのか。

息を吹き返すようだった「復活の野音」、一曲目に「優しい川」が演奏されたときのこと。25周年と銘打たれたさいたまスーパーアリーナを1万数千人が埋め尽くしたときの誇らしさ。一年前(療養)を思い出すと想像できないと漏らしたミヤジの言葉。「奴隷天国」で風船が落ちてきたときのチグハグ感に笑いをこらえきれなかったこと。

ここ数年、ポニーキャニオン時代を彷彿とさせるような大きなタイアップがついたり、オリジナルアルバムにカバー曲を収録してみたりもした(「翳りゆく部屋」荒井由実/「STARTING OVER」(08年)に収録)。一方、黄金期の名プロデューサー・佐久間正英さんが鬼籍に入られたり、キヨシローだって亡くなってしまった。ミヤジの難聴の他に、冨永さんとて二度、大きな病気をされている。

40代のエレカシは、順風満帆に見えたユニバーサルでの再出発から波乱の道を歩み、孔子で言う、50にして天命を知る、迄いよいよあと少しのところまで歩んできたのだ。

自分自身も20代後半を迎え、最近、エレカシを好きになった10代後半のときのように、エレカシを聴いている。長らく聴いているけれど、ここにきて、好きになった頃みたいな頻度で聴いている。

20代後半にさしかかり、一周して戻ってきたような感じだろうか。

 

ニタリ ニタリと策士ども

転ばぬ先の杖のよう

わけのわからぬ優しさと

生きる屍 こんにちは(花男

机さん机さん 私はばかでしょうか

はたらいてる皆さん 私はばかなのでしょうか(珍奇男)

 

電車の窓にうつる俺の顔 幸せでも不幸でもなかった

通勤中、エピックソニー時代の初期エレカシを聴きながら赤羽を通過する。

朝からこの絶叫、10代のころと同じように、なんかニヤニヤしてしまいながら、憂鬱な電車に揺られる。

エレカシを聴き続けて、最近ふと思ったことがあったのだが、恥ずかしながら、ほんと恥を忍んで書きますけれども、多感な時期の自分はミヤジになりたかったんだと思う。ああいう風に。

10代後半、追いかけるように、森鴎外永井荷風夏目漱石太宰治を読んだ。だけど私にとっては、エレファントカシマシの音楽ほどの感動は得られなかった。愛読者の顰蹙を買いそうだけれど。今思えば、なんとか好きになりたかったんだと思う。“尊敬する人の尊敬する人”を。

憧れの形は色々だけれど、私にとってはそれが、「こうなりたい、この人になりたい」だったんだなと気が付き、大人になったいま、腑に落ちる。

誰にも真似できない、誰が真似しても寒くなってしまう、唯一無二のあの才能がいつも羨ましかった。

誰もかれも、生きているうちにどこかで、自分が凡人であることに気が付いて、それを受け入れて生きている。

凡人にエネルギーをくれる非凡のロックバンド、カシマシは清々しく、そしてまぶしくあり続けている。

 

2016年1月4日・5日。東京国際フォーラムにて、「新春ライブ 2016」を観た。

宮本さんは、その日にこう言った。

「ファーストアルバムの一曲目に入っている『ファイティングマン』を、今でも今の曲として歌えることが幸せです。」

RAINBOWツアーで気になりつつ確信に変わったこととして、エレカシのライブは、自信作「RAINBOW」と引き換えに「今宵の月のように」のカードが無くても成立するようになってしまった。多分。とても喜ばしく、一方でさみしく。ほら、どこかで水戸黄門みたいなものだと思ってるフシがあったから。

キャリア四半世紀を越えて最大キャパを成功させ、不安定な時期もあった集客も上々につき、新春公演は東京大阪全日ソールド。なおも頭でっかちにならず、新たに村山☆潤さんのような若い才能を取り入れる勇気と意欲をもつエレファントカシマシに、我々リスナーは絶大な信頼を寄せる。

とはいえ、なんだかもう最近、ただただミヤジには、そして4人とも、とにかく元気でいて欲しいと思っている。正直もう、それでいい。それだけでいいんです。

日本のロックシーンにはエレカシがなくてはならないと、心から思っている。

そして、私の人生にエレファントカシマシがあってよかった。

個人の感想でいい。世界で一番かっこいいロックバンドはエレファントカシマシです。

 

※この原稿は、「rockin'on presents 音楽文 ONGAKU-BUN 大賞」に応募したものです。