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私のことはどうでもいいので、私の好きなものの話をします

Twitter:ane_channel/ちょっと声張りますね。

この度の一件で思い出した話を手短にします(アイドル)

おたく
めずらしく、重い腰を上げてエレカシに関する記事を下書きしていた矢先、思わぬイレギュラーが

「私はKAT-TUN担でも田口担でもないけど、でも」と付ければ何を語ってもいい、が横行して一週間経とうとしている。

本当に、横行って言って差し支えないと思ってる。

そして、かくいう私もまた、「担」を名乗るのであれば中居正広さんであり、キスマイであり、平野君である。即ち、下記は横行である。

 今回の一件を通して、アイドルとしてどうとか、KAT-TUNのみなさんのゆくえ云々はさておき、生きている以上、自分対他者の間でも時折起こり得ることとなんとなく重なった。いや、「重なった」と表現してしまうと、類似事例のようで語弊があるので、なんだろう。紐づけて思い出されたと言ったほうが適切かもしれない。

 以下の話は、田口くんがそうだ、という話ではなくて、どこかから、誰かから離れようとする人を通して、ふと思い出したに過ぎない話である。

 誰かを拒絶するとき、いつ・どう伝えたら傷つけないか考えた、とか、真剣にずっと考えていたとかよく言うけれど、そんなの傷つかないわけがなくて、そういう話が覆る例ってまずないじゃないですか。

いつ、どう伝えたら傷つかないかずっと真剣に考える猶予のあった人に、いつ、どう伝えたら傷つかないかずっと真剣に考えていましたと言われたところで、じゃあしょうがないねってなるとでも思ってるのかって話ですよ。

受け入れてもらおうとする誠意(表向きなもの)を見せるものの、本当は、その後にもっと楽しみな人生、相手の人生から自分がきれいさっぱり消えて、せいせいした人生が続いて行くと思い、相手からばかにされたような、無価値の烙印を押されるような気持ちになったこと、あったなと思った。多分誰しも、ひとつやふたつは、そうなんだろう。

 今元気にしていると聞いても、それをしみじみ「ああ、どうでもいいなあ。本当にどうでもいい。(自分の人生とは関係がないから)」と思えるくらいになって初めて、他人から拒絶された事実は受け入れられるもの、と思っている。

「どうでもいい」は、「ともあれ一応、元気でいてほしい」とセットの場合もあれば、「生きていても死んでいてもどうでもいいし、べつに元気でいてくれなくていいです」と結びついている場合もある。そのへんは相手による。

今回については一対万単位の立場なので、一対一の対人について話をしても仕方ないけれど。

だけど、この一件以来SNSや各ブログを巡回してみる限り、各々の思い入れからは一対一の対人関係のごとき情の深さを感じる。悲しみや、驚き、心底応援していた気持ち、絶望も。だからこそ、こういうことを思い出したのかもしれない。それだけみんな、真剣だったってことだ。

 念のためもう一度断りを入れておくと、田口くんがそうだ、という話ではなくて、どこかから、だれかから離れようとする人を通して、そんなことを思い出したまでである。

余談ですが、キスマイのインタビュー本「裸の時代」で、尊敬してるとか、お世話になったとか、個人名が挙がった先輩に限って波乱のキャリアを歩んでいること、うすうす気が付いている人は静かに手を上げてください。(了)